流れ星が見えた

古代の人々は、日が落ちると月や星を眺めていました。ほかには何も見えません。
 毎日、晴れた夜はいつも星を見ていました。ですが、星の概念は、空にある不思議な光の点に過ぎません。
 神が与えたもうたか、悪魔が決めた物か。夕方から少しずつ位置がずれて、夕方に見えた星はいつも同じ方向へ移動して、朝になると消えて行きます。
 よく見ると、夏には場所の変わらない星も見えます。極星と名付けましょう。
 星が出てくる方角を東、消えて行く方を西、変わらない星の方向を北、その反対は南です。
 そうやって地上の物の位置を確認すると、すべての位置が明らかになります。遠くへ行っても星の動きをたどれば帰って来れるのです。
 いつしか、星の移動する方向と極星を用いて地上の万物の位置を表すようになり、それが地図となりました。便利になりました。
(漢字の北の字義は極星polarisを,東は上ること、西は収めることを意味します。いずれも星の動きに相当します。南は豊かに実らせる春の暖かい風が来る方角。)

太陽が現れて消えて行く道のある線上を、それを追うように現れる星々は一夜をかけて現れて消えて行きます。
 その中に日々の動きの速い明るい星が五つ見えます。色を五行説に合わせて、水、金、土、火、木を当てます。(太陽系惑星はほぼ平面にあるから太陽と似た動線を持つ)
それに日と月を足して、七曜と呼ぶことにしました。古代のエジプト、ギリシア、インド、中国など世界中で七神を建てているのは偶然ではないでしょう。
 方角と暦は日月を含む星に起源があり、私たちの生活に密接に関わっているのですね。

星の動きが地図や暦の基礎なのですが、現代では地上の光に遮られて見えない星を眺めることもなく、その動きを見て時節を知ることもないですから、日没の早さくらいは分かりますが、星と現実の地上の姿を照らし合わせることが出来なくなりました。
 現代では地図と地上の姿とを比定することが出来る人は、それなりに考えて想像する練習をした人でしょうね。
 しかし、そのほとんどの人は、空のことは意識せずに、現実に見える通りや建物を地図に探して方向を確認している流れの上にあるのでしょう。
 冬の風が強い晴れた夜にはあまり人工の光のない所へ行って、のんびりと温かい飲み物を片手に空を眺めているのもいいかも。鬼門の方角から流星が落ちてくるかもしれません。

せめて、太陽の方に時計の時針を合わせて12時(0時)との1/2中間角が南北方向(おおよそ)と知っていれば、自分が向かう方角を失うことはないのですが。
(朝6時は12時との文字盤上の中間角9時方向が南。14時ならば文字盤上の13時方向。何時でも南が分かります。夏至冬至でも分目盛り一つ分以下の誤差)
 太陽が見えない時は丸い柱の影などを見て概略を確認できます。誤差は地点の経度・緯度差、均時差などで分目盛り一個分くらい生じる。