発つ鳥跡を濁さず

ある記事に立つ鳥跡を濁さずとあって、どうにも違和感がぬぐえずに辞書などを紐解いてみた。結果、簡単に言えばどちらでも良いらしい。

 

かつて渡り鳥が長くその地に逗留して後、次の逗留地へ向かう時、これまでの地にほかの鳥がやってきても何ら支障のないように跡を濁さないように出発すると意味する言葉と思っていた。

そのように習った頃の私のイメージは、白鳥や鴨が子育てをした湖を、幼鳥と共に去りやがてやって来る鷺などに子育ての場を提供する映像を浮かべたものだ。もちろん想像の話。

その想像に繋げて、社会人が一つのポストを他の人に渡すことを発つと言い、自らは新天地へ向かい、次に来る者には濁りのない、仕事のしやすい環境を作っておく姿を思い描いた。悪い評判を残すな、新たな者に口出しするな、協力者を残せ。そんな意味だと。

 

舟を編むつもりはないが、飛び立つ白鳥の親子のイメージは、これからも持ち続けたい。だが、様々な字義的な乾燥した解釈が並ぶ中、多分、一人だけのものとなりそうだ。固執しても跡が濁るから。

 

疫病神の疫が災厄の厄にとっ散らかされても仕方ない。疫病でなくとも。

お追従を言う女将と追従する女中。などなど・・・