中秋の名月

昨夜も今夜も輝くような月を仰ぎ見た。

翹首望東天 首を上げて東天を望めば 神馳奈良邊 心(神)は馳す 奈良の辺 三笠山頂上 三笠山の頂に上る 思又皎月圓 思ふ また皎月の円なるを 

阿倍仲麻呂遣唐使として中国へ渡り太学で学んだ。当時の日本の知識層は中国語を操り、漢詩を楽しんでもいた。彼は科挙を経て三代の帝に仕えた。李白等とも交わりがあったとされる。日本へ帰国しようと船に乗るも嵐に合い、ベトナムの南へ漂着して盗賊などに襲われつつも長安へ戻り、上の句を詠んだ。

 

時代が下がって平安の世、嵯峨天皇の子で皇太子だった高岳親王藤原氏の策略で薬師の変に列して廃嫡。弘法大師十大弟子となり長安へ向かう。しかし長安へ仏教が衰亡し西域へ向かう。南路をたどりやはりベトナムの南で記録が残るが、その後の消息が消えた。

高岳親王の甥に業平がいて、同じ境遇(藤原氏に追いやられた皇太子)の惟喬親王と酒を酌み交わし、世の中に絶へて桜の~と併せて読んだ句も思い出した。晩春だけど。

散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき

 

月が山の端に落ちて行くのを見て、どこへ落ちて行くのかを確かめたいと思う人は世界中に居た。そこから天文学が新しい時代に入って行った。ここにも面白いエピソードがある。

 

とってくれろと泣く子かな。満月は今も輝いている。