労働者とは何なのだろう

労働力、あるいは労働者という呼び方は経済理論、特に資本主義の経済理論の中の言葉。
 人の持つ経済的な労働能力を前提とする表現であり、生活を成り立たせるために労働をする一般的な人々を労働者と言うことになる。
 日本は労働力が不足しているとして、外国人労働者を一定の能力を持つ物に限って日本へ入れるための条件を整備する法律案が通りそうだ。


労働力というものは物であり、人物ではない。しかし、労働者は人物だ。
 機械に置き換えられる労働力が求められていて、人物としての要素は要らない、そのような発想は奴隷制度か人身売買と同じであり、機械のように動かなくなったら廃棄すればよい存在になる。

労働者を受け入れるとは、労働を提供する人物を招き入れることだ。
 会社に就職するとか、役所に入所するとか、個人経営に携わるということと何ら変わらない。
 会社に入れる時には社会保険法や労働基準法等に準拠しなくてはならない。最低賃金ももちろん存在する。
 このような受け入れ条件をきちんとしてから一定の能力を持つ人物を受け容れる。

 座布団を用意していない内に客を部屋へ入れるなということを言いたいのだ。

 時には共に食事をとり趣味を語る。互いの信頼を徐々に築き上げて互いに楽しい結果を得る。それを目標とした最低限の条件を整備すべきだ。

 現時点でも逃げ出す人々が相次ぐ現実には、座布団を用意もせず、冷たく見下ろして話し合いもしない状況がある。人物と人物の関係がなく、奴隷のような扱いをする人がいるのだろう。


少し前、邪道という中国マフィアが人を潜入させ、不法な扱いをしていた。
 昨今のミャンマーや日本の留学生のやり取りに関わるおかしな団体がそれに近いことをやる。
 奨学金渡航費用という名の借金を背負わせて、逃げられないようにする。
 人集めの為に広告塔としての人を使い、家を新築したとか、高級な乗用車を乗り回すとかさせる。どこかの新興宗教の手口だ。

 いずれにせよ、労働力を入れるのではなく、生活者を入れる覚悟でなければ悪法の名を免れ得ない。そうですよね、竹中平蔵先生。あなたの受け容れ組織はやましいことはしていませんが。

労働者とは生活者の別名。

 労働することで生活をしている、ごく普通の人物を指す。決して労働力になるために人ではない。