二回目は副反応が強かった。

火曜に二回目の新型コロナのワクチンを接種してもらった。

 一回目は6月の初めで、副反応については、15分くらい様子を見れば大体ひどくなるかどうかが分かるという事だったが、めまいがあるかもしれないと前もって情報を得ていたので、クリニックまでコミュニティーバスを利用して出かけた。36.5℃。きわめて平熱である。

 チクっとした接種の後、15分間安静にするわけだが、クリニックの方も予約をワクチンだけにして、待合室もそれだけの人になっており、同じような人と互いに様子を伺いつつカズオ・イシグロの文庫本に目を落としていた。

 少し針の痛みはあったが、問題なく帰り、近くのショッピングセンターへ出かけた。訳の分からない店ごとのスマホアプリを覚えきれなくて説明を聞きに行ったのだが、帰るころに腕に違和感が出てきた。かれこれ、接種後5時間くらい経って初めて、あ、これが副反応かと思った。

 その後、夜中11時頃に体温が37.6℃になって、少し体が不安定で風邪ひいたかな?くらいの調子で、葛根湯を飲んで寝てしまった。

 翌日、腕に変な痛みを感じて目が覚めた。枕が変な具合になっていた時の朝みたいな違和感だが、別段、日常に差し支えるものではない。体温を測ると37.5℃。まあ、妥当な線だろう。

 

そして、三週間後、二度目の接種だが、初回よりはきついとメディア情報があったので、ふらつきが出るとまずいと思い、やっぱりコミュニティーバス(100円)と徒歩にした。健康体の36.5℃だ。

 前回と同じ経過で、接種後の経過を見ている間、隣の人と「前回よりは痛くないし、副反応も楽勝かも」と話したのだが、帰りに回転寿司でお昼を食べていた頃から少し食欲がなくなっていることに気付いた。皿の枚数が少ない。

 しかし、まっすぐ帰らず、古本屋さんで小一時間を過ごし、午後のお仕事も遅れ気味に入ると、徐々に熱が出てきた。夕方、少しフラフラしたのでさっさと帰宅する。

 ちょっと吐き気もしたので、帰宅してすぐ体温を測ると38.7度。風邪でもこのくらいで寝てしまうが、頭痛がきつくなってくる。解熱・鎮痛剤のロキソニンが有効とメディア情報があったので抵抗を諦めて即座に二錠を服用。

 その後、寝ればいいのに、自分の対処が悪くなかったかネットで確認し、ついでにネット将棋対戦までしてしまった。途中で面倒くさくなって格下の奴にまで負けてしまった。途中のチャットで「副反応、パネエ!」と書いたら、表現が古いとチェックされた。

 寝る前に確認すると38.8度。薬飲んでもきつい。めまいと頭痛、若干の吐き気で夢を見に行った。昔、隣の兄ちゃんに将棋で負かされっぱなしだった夢だった。割りと根に持つタイプの俺。

 その後、おおよそ2~3時間に一度目が覚めて、朝になった。調子はほぼ支障ない。体温も37.5℃。腕の違和感、痛みは結構ある。出かける前にもう一度ロキソニンを飲んでおく。

 午前中は少しふらっとめまいを感じたが、徐々に回復。昼過ぎに37℃だったので解熱・鎮痛剤はやめた。柔軟体操をしておく。

 やっぱり、副反応は二回目の方がきつい。腕だけでなく筋肉があちこち渋るので柔軟体操を無意識でやっていた。以外と良いかも。

 

と言うわけで、残念ながら、二回目は解熱・鎮痛剤の世話になってしまった。でも、予め用心できることはやっておいた方がいい。そう思った次第です。

インフラも医療も国の重要管理項目か?

◆電力、インフラに係る企業には厳しい監視があっても良いと思う。

 ウインター・ストームでアメリカでは、各地で凍死者やインフラの停滞があって、特にテキサス州では大規模停電が起きた。

 テキサス州の電力はERCOTというコミッティーが州内電力の9割を管理している。数年前、日本で電力価格の柔軟な運用を導入するためにその料金体系などが参考にされたので思い出す人もいるだろう。電力使用量のゆとり分が残り20%以下になると料金が徐々に高くなる。5分ごとに使用量が計測され、値段が変わるシステムだ。

 電力供給がひっ迫すると値段が上がるのでユーザーが節電を考える。同時に、電力会社の利益が増えるので設備拡大のための投資へ資金を回される。などが利点だが、実は、他の州では、電力がひっ迫すると他の州などから回してもらう。グリーン発電では供給量が一定しないので、必然的に融通政策が優先的にならざるを得ない。

 テキサス州は他の州から融通されない孤立した電力供給システムなのだ。直流で独特の電圧が用いられるので、州内供給量に余裕がないから値段でユーザーを管理しようとする、供給側が管理する形になってしまう。結局、ユーザーの批判は、柔軟性のない供給体制とユーザー不在の値決め、余剰料金の不正利用に集中する。

 そして、今回のウインター・ストームのような不測の事態が起きると、他州から電気を借りることも出来ず、余裕発電の投資に回されるはずが全く余裕を増やすことになっていなかった事と相まって、単独州の大停電が回復できないことになった。

 資金を積み立てて行って余裕を増やすなどという修辞的なシステムは、もともと破綻する可能性が見えている。余裕金があれば使いたくなるのが人間だから。そしてそれを管理するERCOTへの批判が過熱するのだが、役員を切るだけではなく、次へ向けて抜本的な改善が求められるだろう。もちろん、価格体系も含めて。

 日本が一つの見本と考えた課金システムも、厳格な資金運用監視が必要であることとなった。

 単独で孤立するシステムでは負荷が大きい。電力供給は多様な電源と広範囲な協力体制、事件や事故への対策が為されることも必須だ。日本の場合は地震や台風、大雪その他の事件もあり得る。決して他人事ではない話。

 

◆ワクチンは戦略物資。

 副反応はあるのが普通。でも、それが軽微であることがワクチン承認の要諦。

 軽微であることとは程度と持続時間、後遺症の有無だろうか。副反応があったと騒ぐのが報道機関。しかし、後遺症が何か、死者は出るのか、10分くらいで消えるのかどうか。・・・そういった情報が少ない。100万に20人が副反応といってもそれが死者数だったら問題だ。10人に5人が自覚と言っても10分も経ったらすべて回復するなら問題ない。

 それより、今の所、10社のワクチンが世界に流通しているが、日本はファイザーだけが昨日から接種されている。死者が出る感染症に対するワクチンは安全保障上の戦略物資でもある。日本は米国と英国の会社から供給を受けるらしい。インドはアストラのジェネリックを周辺国に無料で配布している。中国は太平洋とアフリカを重点的に、ロシアはCISと南米などに提供している。韓国もアストラのジェネリックの三月生産を準備しているが、これを日本へ輸出するとは一言も言っていない。

 もしも、日本がワクチンを緊急事態的に早期に開発していたならば、きっと米国、EUと、フィリピン、台湾などの近辺国に有償で提供したことだろう。他の地域は後回しになること間違いなし。安全保障の戦略物資を配るのは、その国との友好度を示すバロメーター。日本がどの国を優先しているかがばれてしまう。

 そういう意味では、ゆっくり開発して、国家間の友好度をはっきりさせないのも一つの戦略。かな?

 作れるから、さっさと作って売る。そんな基本事項から監視される業界なのです。安全保障と政治判断が混じる複雑な世界。

ソーシャル・ディスタンスの起源、意味。

 イタリアの地形をブーツのようだと言うなら、その膝の辺りとスペインとの間にサルジニア島とコルシカ島がある。(らしい。行ったことがないので)
 サルジニアの北西にアルゲーロという港町がある。地域的に歴史上、地中海の交通、通商の地で多くの国の人が交流してきた。今も温暖な地中海の観光地として有名でもある。

 432年前、この町に事件が起きた。
 北のフランス、マルセイユでは原因不詳の疫病が一年くらい前から起きていた。そこから来た船員が一人、町に降り立った。検疫官は上陸時に彼を調べたが停止させなかった。
 実は、彼は横痃(おうげん)があったのだが、梅毒などでも起きる現象なので申告しなかったらしい。彼は数日後に死体となって発見され、アルゲーロの街には疫病が広がった。
 歴史書には悲惨さが伝えられているが、現代の研究では町の60%が死亡し、元気な人はほとんどいなくなったとされる。納税記録に、納税者が激減すると同時に注釈に疫病のことが記されていた。

 周辺地域ではもっと悲惨で、90%以上が死亡した地域もあった。その中で充分に大きいが、比較的被害が少なかったアルゲーロでは何があったのかと調べられている。
一人の医師がいなかったら、この町も壊滅し8か月以内に地図上から消滅していたはずだった。
 彼は先見の明を持ち合わせていた。ソーシャルディスタンスである。
 当時の世界人口は12億人程度だったが、5千万人以上が死亡したこの病気はペスト、黒死病とも言う。欧州の都市部で地下鉄工事を行うと、地図に墓地とされていない地域に、この時代の人骨が大量に出て来ることがある。数十年前だが英国ファリントンで5万人分の人骨が出てきたこともある。埋葬する余力がなかったのだろう。

 エンテル・キント・ティベリオ・アンゲレリオ医師は、サルジニア島には医学大学は無かったのでシシリアで学んで帰郷したのだが、シシリアはペスト禍が去って5年くらい経っていた。
 経験をもとに島の有力者に57の提言をしたが、終末論者によって却下された。そこで彼はアルゲーロの総督を説得し、町の周りに三重の防疫線を築き外部からの往来を止めた。
 すると市民は彼をリンチしようと動いたが、どんどん人が死ぬのを目にしてアウトブレイクを包囲するタスクに従って動き出した。

 ①まず、ロックダウン。一家族で一人だけが買い物などで外出できるが、他の家族は家を出ない、家を移動しない。現代のパンデミック制限によく用いられる。
イタリア語の-quaranta giorni-は"quarantine(検疫)"の語源だが、40日間という意味で、この時ロックダウンが40日間だったことにちなんでいる。
 ②次にフィジカルディスタンス。人との距離を6フィート取ること。ペストはノミが媒介していたが、人に寄生するノミは遠くへは移動しない。ウイルスはクシャミなどの人の体液などが媒介するが。ポリシー16世紀末から人々の常識になって科学的に正しいものになって行く。その原動力ともなった。現在、その数字は病気により1mか1.5mとされるようになっている。
 ③買ってきたものを洗う。イタリアでは当時の先進的な人々、ミケランジェロ、ドナテッロ、ラファエル、レオナルド・ダ・ビンチ、コペルニクスなどが率先して科学的視点で行動したこと、それが流行していたことも重要である。
汚染と感染との境界がはっきりしない時代でもあった。科学的視点を病気に向けて、科学的に行動するようになった時代ともいえる。その中で洗うことの意味は大きかった。現代では自分の手を洗うことに通じる。
 ④健康パスポート(Health Passports)。健康診断を受けてペストではないと証明された、業務上で外に出たり通行する必要のある人はそれを持って通行できる。パスポートのサンプルが今も残っているが、既に流行の終わった地域、まだの地域、あるいは今も盛んな地域であろうとなかろうと、健康体であるという証明書を持っていれば有効期間においては通行できる。現代、コロナウイルスに対して、ニューヨーク、ロンドン、香港、シンガポールなどはデジタル証明書"CommonPass"を試験運用している。
 ⑤他にも、動物を介してノミがペスト菌を媒介することがあったので、猫の死体などを見つけたら海に捨てろなどの指示もあった。コロナも犬や、猫のネコ科動物に感染するらしいので何とも言えないが、今後も多くの媒介者が見つかる事だろう。

 距離をとる意味を極言すれば、感染した人は他に感染させずに自分で何とかしろ、感染してない人は感染者に近づくな、と言うようなこと。外部社会との断絶、個人間の断絶は、言い出せばリンチに遭いそうだ。しかし科学的に感染症を根絶させるならばこれしかないだろう。

 ペストは数年に一人の割合で発見される。三年前にフランスで一人の女性がペストと診断された。一応、根絶されたとされる結核赤痢SARS,MERSも一人、二人と見つかる。そして、そのような病原体は変異を続ける。

 根絶するまでの長い戦い、根絶してからの新たな脅威の予防。今後も人は戦いを続けるだろう。その中でソーシャルディスタンスという対抗策は今後も有効である。

姓名の文字に見る生き物

先日、徒然なるままにメールの差出人の名前を眺めていた。

そこに田貫さんというあまりいないと思う人の名がある。また、ある女性が猫好きで、名前を決めかねているそうな。猫にポチと名付ける飼い主もいるようだがあまり賛同はしかねる。後で、名付け親に立候補しようか。

人の名に生き物を現す文字がある。姓には犬養、猫田、鳥井、熊田、馬飼、魚江、鳳などたくさん例示できる。きっと御先祖様がそういった仕事や地域に関係していたのだろう。

一方、名は親御さんの期待や願いを込めて付けるからあまり見ない。虎・龍や鶴・蝶、あるいは亀くらいかな。

天平の昔、聖武天皇が五畜(牛、馬、犬、鶏、猿)を食うことを禁じたが、それ以後、幼名以外にはこれらの文字を使わなかったように想像する。牛若丸とか、犬、捨丸などと同じように忌まれる文字を幼名につけるしきたりもあったようだが、そういったモノにこれらの文字が並べられたのだろう。

五畜以外は宮廷料理にシシ(鹿、猪など)や雉が相変わらず継続している。一時期は平民が魚を食うことを禁じたが、明治になるまでは寄生虫マラリアがこの国には蔓延していたのでその類の病に対する処置だったとも言われる。あ、閑話休題

名刺を頂くとき、その方の名に窺える親御さんの思いに接する気がする。どういった方なのかをその方の奥に見受けるようでもある。

こういった思いを文字に込められるのは漢字、表意文字に限られよう。もう何十年も前、ある外国人に日本人の名前には一文字一文字に意味があって、親が気持ちを込めていると話したことがあって、その説明をしたら大変な時間を食ってしまったのを思い出す。

また、ある時、鶴の文字を含む女性名に3人続けて出合ったことがある。名に恥じぬ美しい方々ばかりだった。最高齢は91歳のお婆さんだったが、美しく身を整え、生粋の江戸言葉を使っていらっしゃった。その翌日に会った方は十代でどこか儚げな見目だけれどかなり訛の強い言葉を元気な声で投げつける人だった。次に会った方は30歳くらいでちょっとそばかすが可愛さを残す奥様だった。どなたも美しかった。

何だか、女性の話を書いたら、もう満腹になってしまった。

 

 

ねがはくは

奇病が世を騒がせている。

 思い付きで権力者が公立学校を一か月間の長きにわたり、卒業、入学の時期に閉鎖せよと言った。塾が大逸りになるのだろうか、給食業者や世の多くのひとり親世帯が苦渋に甘んずるのだろうか。

 奇病で命の短くなる人々のいることだろう。

 達観した西行の句を噛む思いで唇にするかもしれない。

『ねがはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比』

 少し古文調に書いてみた。続古今和歌集の記し方らしい。今年の如月の望月は来週、三月八日か九日に当たるが、今年、京都は三月の末頃に開花らしい。とすれば、まだ咲き初めぬ大樹が目に浮かぶ。満開の時、詰まる所、悦びを他の人と共に楽しみながらではない。何かをやり遂げられぬ無念さもにじむ。え? 花は梅だろうって? 散り終えてしまっては、やり遂げた感で風情がないでしょう。

 死という言葉は重いのだが、何とも美しい思いに思えてしまう。共感する者も多いことだろう。

 蛇足ながら、早蕨の萌え出づる春にある趣きとは異なるようだが、志貴皇子はやはり、我が陣営の衰えを嘆きつつ詠んでいた。待ち遠しいものを焦がれるように。

 このはやり病を克服する時を待つ万葉句を詠み継ぎたいものだ。万葉文字はご勘弁。

『石はしる垂水の上のさわらびの萌え出つる春になりにけるかも』

 

 ついでに西行

『つよくひく 綱手と見せよ もがみ川 その稲舟の いかりをさめて』

 俊成を流さないでくれと崇徳院に請うのだが、崇徳院は否と言った。怒りを治めてと願う心は、奇病を治めるべく強く引く手が切れないように願うばかりだ。

新しい方言?

 デンマークの新聞社のサイトに、デンマークの中部辺りに新しい方言(a new dialect)が出来ているという記事があった。

 日本的な感覚では、方言とは昔から話されていた地方言語のことと感じられる。「地方言語」の中の二文字が方言と書かれているので、文字的にそう考えるのだろう。

 しかし、方言の発生は?と考えれば、ある地域で発生して常用化されて広まったか、かつての広域用語が多くの地域で変化したがある地域ではずっと使われてきたかだろう。

 言葉は変化するもので、昔の言葉には古語辞典がないと分からないものも多い。新しい言葉も創成されてゆく。明治の文明開化の時には、外国の言葉を和訳して新たな言葉がたくさんできた。野球とか、自由とか、手術とか、重工業とか・・・・。官製日本語もあれば、民間で使われ始めた言葉もある。名詞だけではなく助詞もあり、筆記法もある。

 

 ある国の中で、外国人が入って来て混淆、混成して用いられる言葉、ピジン語とかクレオールも多数あったし。これからも出来て来るだろう。

 今回、記事となっていたものは、それに近いが、元の言語が変わって、一定地域で新しい表現法として定着しているものをいう。英語で「go for broke」と言えば、もとはギャンブルにのめり込むことを言っていたが、ハワイに日本軍が進駐した時、どうにでもなれ、当たって砕けろと言いたいときに使われ、今では多くの国でも、当たって砕けろという意味で用いられるようになった。一部の人が話すのではなく、母語が変化する。

 少し前はジャン言葉、最近は関西弁の「あかん」なども違和感なく全国的に使われているが、活字化され、放送されることでなじみが出来ている。

 

 外国人との対話において、初期の接触では相手の言葉を適宜ならべることでかろうじての意思疎通を図る。This is a pen. の意味は、標準的にはこれはペンですと訳す。しかし、これは原義的には、ここにペンがあるという意味で、Here is a pen . と書き換えられる。つまり、「ペン」「ある」しか必須な言葉ではない。これが I am a boy. に適用されると、「私」「男子」「ある」が必須語になる。

 これが鎖国時代にマニラで出会った宋と和の商人たちの間で、宋の商人が用いたピジン語で、 be 動詞を「ある」と言うのと同じで、中国語の構造でそれを流用している。補助的な助詞、助動詞は省略されている。

 開国後は、横浜などで用いられて、何となく中国系の言葉はそういうものだという印象が生成され今に至る。もう使う人は滅多に居ないが、中華街の言葉と勘違いする人もいる。

 

 デンマークには近年、中部に東欧、中東系の人が住み、母国の物や習慣から日常の行動もクレオール的に通用し、便利な用語はデンマーク人にも使われるようになっていると言う。民族的でもコミュニティー的でもない。

 若い人が馴染みやすく、常用するようになるのは、日本語の変化と同様である。ピジン語の特徴だが、簡素な表現で面白みがある。中央部で徐々に広まり、今回の記事になったようだ。

 

 文化の混淆、混成が進むと言葉の中にも影響が出てくる。言葉は文化だ、美しい日本語を守ろうという人もいるが、「美しい日本語」というものの正体は?と聞けば決まったものではない。時の経過で変わって行く。美しいというものは多分、時流に遅れてのろのろと追従するものではないだろうか。

 追従的であっても問題はないが、先進的であっても問題ではない。ただ、追従的なのは、自己が固定化されたものを持っていたい期待が行動に現れたものともいえる。変革は脳内でもエネルギーを消費する。本能的には避けようとするが、流されて変わらざるを得なくなる。

 

 新しい文学、音楽に出会うと、最初は違和感を避けられない。ひょっとすると、この違和感が、この新聞社の記事を作る力となっている、そんな気がする。

 変化を受け容れようと述べるのか、慎重に扱えと言いたいのか、真意は分からない。だが、新しい方言は新たな気持ち、感覚の表現力を持つ。表現する概念が増えるのは悪くないと思う。

国を買う外資系によるロビー活動

どうも、この数年の外資系(アメリカ)企業によるロビー活動の成果が上がり過ぎだと思う。

 IR事業もサンズ、MGMなど、トランプさんのお友達、安倍さんが優遇させたと言われている。

 モンサントによる、種子法、種苗法の撤廃によって、これで守られていた日本の農業が別の特許法などでやり直す必要が起きて、特許に関してモンサントが先行していたため、モンサントの種、苗、遺伝子操作などが日本の農業を支配することになる。

 iPSに関しても、大学などで成果を発表する必要のある所で研究するならば国の支援はあるが、ノウハウを外部に漏らさないように法人化して研究を続けようとすると国は支援をはずす。これでは追随するアメリカやイギリス、スイスの企業に簡単に追いつかれてしまう。

 水道事業についても、海外企業に依存することになる。

 

 戦後の最悪の政策による企業優先事業と言われるのが、紛争に関与した国に新たに武器を売り、民間軍事企業を斡旋してきた軍事戦略の次に、ハイチのような農業崩壊、食料による国家支配がある。

 ハリケーンで被害を被ったハイチに米国が国の支援と合併して小麦、小麦粉を破格の安さで提供し始めた。ハイチはそれまでコメが主食穀物だったが、二、三年後には小麦が主流となり、コメ農家はほとんどが廃業、農機具製造会社、肥料会社などの関連企業もコメ関連の物を作らなくなった。そして、10年後、米を作る水田、畑は消えてアメリカから買う小麦がハイチの頼りの綱になった時に値段が上がる。支援期間が終了という名目だ。あっという間に20倍に価格が上昇。国は国民の命の為にアメリカの小麦を買う。米を作ろうとしても畠も田んぼも荒れ果てている。

 結果として国家予算の3割が小麦関連の購入に費やされることになった。この状態では独立した国というよりも、企業の言う通りに動く地域住民の塊に過ぎない。クリントンはその後20年たって、あの政策は大変に申し訳なかったと、独立性を削いでしまったことを誤った。大統領を退いて数年の後のことだ。

 

 主導権を失わない、独立とは自立のことと肝に銘じた政策を講じて行くが必要なのである。海外企業の言うなりに新たな事業を始めたり、保護的政策を撤廃するには、国内企業が対応できるようにする経過措置が必要である。それをさせないロビー活動は独占、隷従を起こす意図を持っている。

 この所、日本企業が対応できないように新たな経済政策、政策変更が為されている。注意しないと国を売る行為になる。恐ろしいのはそれを見抜けずに目の前の金に目がくらむ議員たちだ。それで再選を目指すために。