新しい方言?

 デンマークの新聞社のサイトに、デンマークの中部辺りに新しい方言(a new dialect)が出来ているという記事があった。

 日本的な感覚では、方言とは昔から話されていた地方言語のことと感じられる。「地方言語」の中の二文字が方言と書かれているので、文字的にそう考えるのだろう。

 しかし、方言の発生は?と考えれば、ある地域で発生して常用化されて広まったか、かつての広域用語が多くの地域で変化したがある地域ではずっと使われてきたかだろう。

 言葉は変化するもので、昔の言葉には古語辞典がないと分からないものも多い。新しい言葉も創成されてゆく。明治の文明開化の時には、外国の言葉を和訳して新たな言葉がたくさんできた。野球とか、自由とか、手術とか、重工業とか・・・・。官製日本語もあれば、民間で使われ始めた言葉もある。名詞だけではなく助詞もあり、筆記法もある。

 

 ある国の中で、外国人が入って来て混淆、混成して用いられる言葉、ピジン語とかクレオールも多数あったし。これからも出来て来るだろう。

 今回、記事となっていたものは、それに近いが、元の言語が変わって、一定地域で新しい表現法として定着しているものをいう。英語で「go for broke」と言えば、もとはギャンブルにのめり込むことを言っていたが、ハワイに日本軍が進駐した時、どうにでもなれ、当たって砕けろと言いたいときに使われ、今では多くの国でも、当たって砕けろという意味で用いられるようになった。一部の人が話すのではなく、母語が変化する。

 少し前はジャン言葉、最近は関西弁の「あかん」なども違和感なく全国的に使われているが、活字化され、放送されることでなじみが出来ている。

 

 外国人との対話において、初期の接触では相手の言葉を適宜ならべることでかろうじての意思疎通を図る。This is a pen. の意味は、標準的にはこれはペンですと訳す。しかし、これは原義的には、ここにペンがあるという意味で、Here is a pen . と書き換えられる。つまり、「ペン」「ある」しか必須な言葉ではない。これが I am a boy. に適用されると、「私」「男子」「ある」が必須語になる。

 これが鎖国時代にマニラで出会った宋と和の商人たちの間で、宋の商人が用いたピジン語で、 be 動詞を「ある」と言うのと同じで、中国語の構造でそれを流用している。補助的な助詞、助動詞は省略されている。

 開国後は、横浜などで用いられて、何となく中国系の言葉はそういうものだという印象が生成され今に至る。もう使う人は滅多に居ないが、中華街の言葉と勘違いする人もいる。

 

 デンマークには近年、中部に東欧、中東系の人が住み、母国の物や習慣から日常の行動もクレオール的に通用し、便利な用語はデンマーク人にも使われるようになっていると言う。民族的でもコミュニティー的でもない。

 若い人が馴染みやすく、常用するようになるのは、日本語の変化と同様である。ピジン語の特徴だが、簡素な表現で面白みがある。中央部で徐々に広まり、今回の記事になったようだ。

 

 文化の混淆、混成が進むと言葉の中にも影響が出てくる。言葉は文化だ、美しい日本語を守ろうという人もいるが、「美しい日本語」というものの正体は?と聞けば決まったものではない。時の経過で変わって行く。美しいというものは多分、時流に遅れてのろのろと追従するものではないだろうか。

 追従的であっても問題はないが、先進的であっても問題ではない。ただ、追従的なのは、自己が固定化されたものを持っていたい期待が行動に現れたものともいえる。変革は脳内でもエネルギーを消費する。本能的には避けようとするが、流されて変わらざるを得なくなる。

 

 新しい文学、音楽に出会うと、最初は違和感を避けられない。ひょっとすると、この違和感が、この新聞社の記事を作る力となっている、そんな気がする。

 変化を受け容れようと述べるのか、慎重に扱えと言いたいのか、真意は分からない。だが、新しい方言は新たな気持ち、感覚の表現力を持つ。表現する概念が増えるのは悪くないと思う。