美しいものは、なぜ美しいのか

 脳内物質で良い感覚を起こさせるものに、セロトニン、β・エンドルフィン、ドーパミンオキシトシン、その他が挙げられている。脳内物質は約20種類が明らかになっているが、運動を活性化させたり沈静化させたり、慎重にさせたり、無謀にさせたりする効果がある。
 そのほかに、神経伝達物質と言って、体中を連絡する神経節などを繋ぐ神経において電気信号などを起こして情報や運動指令を伝達する物質があるが、これらは体中にあって、一回の刺激伝達ごとに発生し受容によって分解する極めて短時間の寿命のものが多い。
 セロトニンやエンドルフィンなども、脳内刺激によって酵素が働き発生して、自然に分解されるまでの時間は数秒とか数十分のものが多い。人工的に作られた物質や毒物の中には体の濾過作用などを経て消えるまで数分から数日に至るものがあり、運動が出来なくなったり、脳が働かなくなったりしたまま長時間、あるいは死ぬまで継続する場合がある。神経毒とか神経麻痺麻薬など。
 では、私たちが持っている感情が、何をもって発生し、どのように作用し、どう消えて行くのかを考えてみよう。
 感情を作るシステムは情動システムであり、脳内では情動神経がその役割を果たす。関係する神経回路を情動系神経回路という。
 嬉しい・悲しい、快・不快、好・悪の解を与える回路であるが、そういった作用の他に恐怖を感じる短絡経路が存在する。
 まず例外を外そう。PTSDで、音や色、臭い等で一瞬で恐怖を感じ、回避する行動を取らせたり一切の動きを停止・フリージングさせる働きを持つ。そこにある物が何かを判断する前に、恐怖を招く音、色彩、臭いを得ただけで、それが何であっても恐怖反応してしまう。このような外部刺激を無条件刺激・USという。
 今回は、そのような特例を外すために、美しいと感じるのはなぜか、そのメカニズムを考えてみたい。多分、多くの情動はその経路に似たメカニズムに従った動きをするはずだ。
 
緊急的な情動を起こさせない刺激を条件刺激・CSとしよう。
 CSによって起きる脳内反応刺激は興奮性刺激と、それの反対の抑止性刺激がある。たとえば目で見た視覚が1億3千万個の視覚細胞に受容されて得られる視覚情報が約100万本の視神経の束を通って視床下部に至る。間脳の視床で一つになった情報が側頭部へ向かい形を照合して形状を前頭葉へ送る。同時にその情報が頭頂部へ向かって、眼球が動いたり首が動いたりしても自分自身の位置から見てどこに当たるかを照合して前頭葉へ送る。
 その二つを組み合わせてどのような形・色が自分の体のどの方向にあるかを判断し、過去の記憶を照合して、それが持つ意味や過去の関連する感情を引き出し、その形状と感情経験を合わせた現在感情を抱く。その刺激が情動神経を動かし、体が反応行動をする。興奮性刺激が起きてにっこりと笑ったり、感嘆した声を出したり。それがある程度の時間が立つと平常の感情に戻り、情動は落ち着く。時には周りの目が気になって抑止性の情動を促したりもする。
 
 さて、美しいという感情は、視神経回路の伝達によって過去にその形状・色彩を見たものと今見ているものとの連環があって発生し、それによって関連する脳内物質を分泌して快感を得る。
 単一の脳内分泌物が得られるとは限らず、たとえば乳児の頃に母から得られた安心感と、幼児期に体験した爽やかな水の感触、青年期に手にした花の甘い香り、運動をして得られた爽快感、等々がもつ記憶が一体となった複合的な感情が想起される時、ドーパミンセロトニン、エンドルフィンなどが同時に、適量に組み合わされた量だけ分泌される。記憶が薄れたものに基づく反応は弱くなる。
 
美しいものを見た時に分泌される脳内物質は一つとは限らない。
 たとえば、白いユリの花を見たとする。
 まず、視覚以外の情報を遮断するために透明の箱に入れ、触ることも匂いをかぐことも(もちろん味も音も)感じ取れないようにする。しかし、私たちは見た瞬間にああ美しいと見て取り、同時にその匂いを思い出し、柔らかい感触を彷彿させ、花粉が服に付かないようにしなきゃ等と考えもする。快感を得るだろう。
 一方、見たこともないような人工物、オブジェを同じ箱に入れて見る。
 何かの形とはたとえて言えない、不思議な形。それを見た瞬間、私たちはどう判断したものか、好・悪、快・不快、悲・喜のどのような感情も抱けない。何かの動きをしたら逃げ出すかもしれないし、確かめようと近づくかもしれない。多分、いつでも逃げられるように身構えることを先にして、次にそろそろと寄って行き五感で感覚を覚えようとする。次に同じ物があったらどう対応すべきかを学習するために。
 そして、箱が取り除かれ、良い香りを発するための温かい香炉だと知ったら、快感を抱き、香りがミルクのようだと幼いころの安心感や懐かしさを連動させたいくつかの脳内物質に連環させることになる。
 
脳内物質は、何かの現象や外部刺激に対して、身体がどう反応すべきかを判断して、あるべき姿勢や情動行動の態勢を築くために脳が脳内に分泌するもの。
 神経伝達物質であるアセチルコリンなどは全身の神経系に分散して存在し、刺激に反応した体の動きを現実化する。活発な動きはこれなしでは発生しないが、感情に起因する、あるいは感情を作り出すことはない。
(念のため)セロトニンは大腸や小腸で多く存在するが腸の蠕動活動に関するもので、脳内で働くものとは目的が違っており血液脳関門によって脳に到達しない。
 
次に、美しい花とは何かを想像して考えてみよう。
 普通、花とは基本的に、植物が種の保存・維持のために咲かせるもので、風媒花、虫媒花、鳥媒花などに分かれる。茎や根が増長して増えるものも花が咲く場合もある。我が天敵の杉などの風媒花は花弁などほとんど無いので美しいとは言わないでおこう。
 鳥媒花は鳥類に花粉を運ばせるため、花弁は固く、模様はなく、花の色はほとんどが赤い。また、多くが昼しか咲かず、臭いもない。鳥のほとんどが昼に行動し、臭覚が弱いから。鳥は紫外域を含めて見ており、視力は数十倍精細で花弁の間の蜜へつながる模様を見ている。

 すると、私たちが見て美しいと感じる花とは、実は植物の75%を占める虫媒花がほとんど。花は種の保存のために、花粉を運んでくれる昆虫の為に蜜を用意し、形も色も魅惑の為に作り上げた、いわば虫のための化粧をまとっているのだ。昆虫もほとんどが紫外線を使って蜜がある所を知る。蜜蜂・蝶の視覚で花を見たり、蟻やカナブンの嗅覚で香りをかいだりすると、その姿の意味が分かることも多いのだろう。
 ほとんどの花が昆虫を誘う形をしているが、人間が美しいと考える花は見えやすい大きさ、色彩で、触ったときに柔らかい印象のものだろう。
 棘は哺乳類を遠ざけるためだろう。紫外線では目立つが人間にはただの緑色とか、沼の中に咲く、空中高く咲く、根や茎に毒を持つなど、人間嫌いの植物もたくさんある。
 しかし、人はバラや柑橘類、サボテン、水草、露草、蓮などがたとえ人を避ける工夫をしていても美しいと思うと手に入れたいと願う。かれらが昆虫に対しては、目立つ形状、色彩、香りを持ったことが愛されてしまう原因だった。
 
 そんなに人を嫌っている花々までがどうして人に美しいと思われるのだろう。
 確かに、その果実、種子、蜜や柔らかい花弁が人間の食べ物となる時代もあった。柑橘類のように棘で防御されても取りたい衝動をくれたろうが、ほとんどの花がそれに属さない。
 反例だが、赤ちゃんが花瓶に飾った花を引き抜き、床に投げつけ、花びらを食い、踏みにじる。そんな姿を見た人は多いだろう。良い香りがしても知らぬ顔で振り回す。美しいという概念がないからだ。どんな香りが良いものかを理解できていないからだ。
 美しいと感じる能力は、本能的ではなく習得した能力だ。
 見たこともない奇妙な形の蘭がある。初めて見た人は不思議な顔になる。しかし蘭と知れば、蜜はそこに無いとしても、それが花弁でなかろうと、美しいと人が感じ取る。
 
冒頭で述べたように
 色と形状についての類推が人間の脳内認識で行われている。何がどこにあると認識すると同時に、それに付随する記憶も想起し、感情も伴わせる。
 植物が、虫が開花部から蜜に至るまでに花粉が必ず虫につくように進化させてきた、あの蜜までの長い構造。小さなアリマキや蜜蜂、ハナアブ、長いストローを持った蝶、カナブンの足にまとわりつく花粉、粘液と雌蕊。不思議な形だが人間はその目的には無頓着だ。雄蕊、花粉が邪魔だからと、百合を花束などにするときには切り捨ててしまうように。
 花であろうと造形であろうと、美しいものとは、美しい記憶に繋がる形状や色彩を言う。一人ひとり、生まれてから現在に至るまでに習得した観念と概念によるのだ。
 
 美しい花という概念があるのではなく、視覚で判断する。
 花という概念とバラの花は美しいという観念があって、実際に手にしてその肌理の細かさや瑞々しさ、鮮やかな色に満足感を得る。概念の中に香りや感触もあり、それに適合するものほど満足感を得られる。
 既成概念や固定観念に外れるものがあっても、それを見、触り、嗅ぐなどで新たな概念と観念を分化、構築して脳内に記憶する。それが総体として、快感を起こす、安心感に連動するなどで、好い印象を構築する。次にそれに出会った時には同じことを想起する。
 良い経験をたくさんした人ほど快感ホルモンが出やすい。形状や色彩に対する感覚だけでなく、触覚や嗅覚・味覚・聴覚にも好ましいものを数多く、種類も多く見た人がその違いを精度よく理解し、言葉にもできる。
 美しいものは、私たちがこれまでに体験した良い記憶に連動するから美しい。だから、好い体験はたくさんして置くに越したことはない。
 
 ここまで、美しさを感じさせるホルモンも、脳内物質も特定していないが、特定できるものではない。その理由を書いてきたつもりです。